About us

私たちについて

株式会社ダイバーシティコミュニケーションズ

理念

パパとママがイキイキと活躍しながら楽しんで子育てできる環境づくりを応援しています。

ごあいさつ

誰もが自分らしく、自由に、心も経済的にも豊かに生きられるはず!

そうは言っても何から始めていいか分からない。

私たちはそんな皆さんの

「はたらく」×「育児」の応援と、

自らの想いをかたちにする「起業」のお手伝いをしています。

 

株式会社ダイバーシティコミュニケーションズ

代表取締役 村瀬 礼子


Story〜なぜ保育園を創ろうと思ったのか~

~問い続けて15年~

親が笑うと 子どもたちも笑う

親が「夢は叶う」と信じていれば、子どもたちも「夢は叶う」と信じられる大人に育つ。

20年、30年、50年後の未来を担う子どもたちのために、

私たちは、今、何が出来るのだろう。

幼少期

私が生まれた1970年代の日本では、まだ0歳から子どもを預ける人は少ない文化。

そんな中で、私の母は私を1歳から民間の保育園へ預け、働いていました。

そして私が3歳の頃から、母一人子一人の母子家庭になり、公立の保育園に通いました。

保育園の時間が延長保育の時間になり、夕暮れの園庭で遊んでいると・・・

「〇〇ちゃ~ん、お迎えだよ~」

お友達はまた一人、また一人と名前を呼ばれ帰っていきます。

延長保育の時間が過ぎても、県外まで出張に出かける母はお迎えに来ません。

日が暮れ、すっかり真っ暗になってしまった保育園。

保育園の先生は、園を締め、私を自宅まで連れて行ってくれました。

先生の家にはお姉ちゃんとお兄ちゃんが居ました。

いつもそのお姉ちゃんお兄ちゃんと一緒に晩御飯を食べ、

遊んでもらっている間に、母が迎えに来る、そんな幼少期でした。

 


小・中学生

小学校に入ると、今度は学校帰りに学童へ行きました。

学童は自然豊かな場所にあり、裏山へ探検、水たまりの中でカエルの卵を見つける、

てんとう虫の幼虫、カタツムリやカブトムシを捕まえてはつついたり・・・

学童の先生には宿題、お裁縫、畑のお世話など、

学校以外の楽しい遊びをたくさん教えてもらいました。

高学年になると学童ではなく、直接家に帰るようになり、

今では考えられないかもしれないけれど、首から家の鍵をぶら下げている

いわゆる「鍵っ子」でしたので、自分で鍵を開けて家に入っていました。

母は仕事に忙しく、朝も見送られず一人で身支度をして家を出るのが日常。

土曜日にも授業はありましたが、お昼には家に帰ります。

そんな時は母がお昼ご飯代を置いていってくれたので、スーパーでお昼ご飯を買って

1人で食べていました。すると、友達のお母さんが見かねたのか、

「れいこちゃんもうちで食べて行きなさい。」と声をかけてくれて

友だちと一緒にお昼ご飯を食べさせてくれました。

美味しくてあったかくて、すごく嬉しかったのを覚えています。

そして、そんな友だちのお母さんが時には自分の子と同じように

私を叱ってくれるのが当たり前の日常でした。

幼いころからの私の憧れは、「家族団らん」

お父さんがいて、お母さんがいて、兄弟がいて・・・

皆で和気あいあいと晩御飯を食べることでした。

「え?何?そんなの当たり前じゃない。」

普通の家庭に育った方には空気のように当たり前にそこにあるものなので、

そう言われるかもしれません。

が、しかし、母の仕事が忙しく外食か買ってきて食べる私にとっては

想像でしかない遠い遠い夢ででした。

自分の子を産み、そして再就職

私も大人になり、結婚をして家庭を持ちました。

2人目の子が生まてから退院した日の夜、その日はピザを注文して食べたのですが、

初めての家族4人の団欒。これが家族団らんなんだ。

と、ポロポロと泣きながらピザを頬張っていました。

それから1年半後、子ども2人を連れて託児所がある化粧品会社へ就職し、

自分がスカウトした仕事の仲間6人と一緒に、仕事も子育ても協力し合いました。

6人とも私の子どもと同じ年齢のお子さんがいたので、その仲間が仕事の時は

お子さんを預かり、ご飯を食べさせたりお風呂に入れたりしました。

子育ての悩みも相談し合って、一人で育児をするより

そこにいる子どもの数だけ数倍も楽しかったです。


3人目を産んで決意

3人目の子どもを産み4か月経った頃、将来を考え、ふと過去を振り返りました。

こんな小さなころから私って保育士さんの手で育ててもらったんだ。

保育園終わってからも自宅でご飯食べさせてもらったっけ。

学童の先生元気かな?

近所のおばちゃんやたばこやのおじちゃんに普通に怒られてたっけ。(笑)

 

ああ~、私はなんて多くの人の手を借りて育ててもらったんだろう!

想い出と共に感謝の気持ちがぶわ~~っと涌きました。

「よし!今度は私が恩返しする番だ!」

そう思い、生まれ育ったこの街に保育園を創ったのです。

会社は大家族

私たちの会社は、

大きな、大きな大家族です。

働くスタッフ、保育士もそのご家族も、みんな家族。

保育園に通う園児さんも家族。

園児さんのお父さんお母さん、お爺ちゃんおばあちゃんも、

お父さんお母さんの兄弟もみんな家族。

 

そこにいる大人が、大切に子どもたちを育てる。

自分の子どもや他人の子どもなんて関係ない。

みんな家族なのです。

 

みんなが笑えば、こどもも笑う。

働くスタッフの家庭が幸せなら、幸せに愛情たっぷりに子どもたちと向き合える。

 

スタッフにはそれぞれの家庭を一番に考え、お仕事をして頂いています。


​代表者プロフィール

株式会社ダイバーシティコミュニケーションズ

代表取締役

 

村瀬 礼子

Reiko Murase

 


愛知県豊明市に生まれる。

3歳の頃から母一人子一人の母子家庭で育ち、祖母や保育園、学童保育、ご近所様の手を借りて育てられる。

2003年「これからは女性が活躍する時代」という事と、自分が人の手を借りて育てて頂いた「恩返し」をしようと考え、フランチャイズの保育園を開業。

2005年コミュニケーション学を学び、自らの母子家庭生活と3人の子育てをしながらの仕事をする経験を活かし、保護者の相談に乗る傍ら、セミナー講師として全国を回る。少子化対策プロジェクトを立ち上げ育児の現場を調べ歩く。

2007年には愛知県少子化対策県民意見の募集で「優秀賞」を受賞。フランチャイズより独立。

2009年に(㈱)ワーク・ライフバランス社にてワーク・ライフバランス(仕事と生活の好循環を学び、

コンサルタント及びコミュニケーション学の講師として企業や商工会、市町村などでセミナー依頼を受ける。

同時に、キャリア支援教育(就職活動支援)の講師として、厚生労働省や県主催のセミナーを高校・大学・女性の再就職・生活保護受給者等を対象に行っている。

その他、(一社)豊明青年会議所 第32代理事長、男女共同参画懇話会 委員(東郷町・豊明市H18~H26)などを歴任。

グローバルな時代を生き抜ける世界基準の子どもを育てようと大学生と共にボランティア活動をしている。

慶應義塾大学経済学部(通信教育)在学中。

趣味は旅行と料理。